受け入れられないものは受け入れられない

今年から、“空気を読まない” “本来しなくてよかったはずの我慢はしない” ことにしている。なので書く。なぜ今書くか等の理由も書いておくほうがいいとなればそれは次回にでも書く (今回そこまで書くとなると、いくらなんでも長くなりすぎるため)。


この話に出てくる人物を、文中ではアルファベットで呼ぶ。これを書いている私はA、ということにする。今これをはてなブログに書いているのだからはてなIDの頭文字を使うことにした。もうひとり出てくる女性は、京都のcさんである。そのほか、男性がひとり出てくるのでその人は★さん、友人女性らは△さん▽さん、などとする。


私がcさんと直接知り合ったのは、2012年1月、大勢が来る集まりでのこと。その後何度か会う機会があって、その年の3月、数人で出かけるという時にcさんから声がかかった。その際cさんが、以前から知っているという★さんのことも誘っており、この時に私も★さんと知り合った。つまり、私が★さんと知り合ったきっかけはcさんである。この時に誘われなければ、★さんと知り合う可能性は皆無ではなかったかもしれないがそのままなかったかもしれない。のちのcさんの反応を思うと、そもそもこの時に私に声をかけなければよかったものを、とつくづく思われてならないのであるが。


とりあえず、2012年3月には★さんと知り合ったわけである。その後、知人友人のひとりとして、何人かの人と一緒だったり、あるいは都合がつかずに人が集まらなかった場合にのみ1対1で、何度か顔を合わせる機会があった。


cさんのことは、SNS的なもの(h)の上でも知っていた。ご存知の通り、SNSというものは、その日どんな行動を取ったかがほかの人の目にもわかるものである。


私が★さんと顔を合わせる機会があると、そのSNS的なもの(h)でのcさんの反応がいつもと違う、ということにある時気づいた。気づいたが、まぁ気のせいだろう、と思っていた。そのうち、はっきりとわかる反応があったのだが、こちらが何か言うことでもあるまいて、と思いそのままにしておいた。


そうやって私に対し距離を置いていたcさんから、2012年7月、話したいことがあるとのことで、cさんの家に招かれた。7月の京都といえば猛暑だ。8のつく日であった。話したいことと言われても、別に何か一大事かと思ったわけでもなく、軽い気持ちで行った。


以下、cさんから訊かれたことと私が答えた内容、cさんの言い分など。


まず、とあるイベントごとがあった際に★さんと私が1対1で会った、ということについて、なぜふたりだったのか、と訊かれた。が、実際のところ、なにもそれは★さんと私がふたりで会う約束をしたわけでもなんでもない。イベントごとゆえほかの人も誘おうとしたが、平日だったために当初は人が集まらなかっただけである。仕事が終わってあとから合流した人もいたので、★さんと私しかいなかったのはその集まりの前半のみ。


その時のことを訊かれたので、cさんにもその通り説明した。cさんは、その頃足を怪我していて行けず、★さんとはいつも一緒に行動していた自分が行けなかったことが残念だった、★さんとAが一緒だったことがいやだった、と言う。


また、そのイベントごとの後日、何人かが来る席に★さんと私も同席する機会があったのだが、その時Aはなぜ行ったのか、なぜその席に呼ばれたのか、とも訊かれた。イベントごとの当日、合流した人たちも含めこんど食事等に行くがよかったら来ないか、とちょうどその場にいた私にも声をかけてくれたので行った、と答えた。その日のことは、自分は結局行けなかったのになんでAは呼ばれたんだろう、なんでAは行ったんだろう、とすごく気になっていた、とcさんは言う。ごく軽い気持ちで参加した席のことをそんなふうに思われていたのか、という、私にしてみれば「そこまで?」と驚くような流れであった。


結局、cさんがこの時もっとも力説したのは、以下のようなことであった。


『私と★さんは、★さんとAが知り合うよりもっと前からよく知っている。入院した時にはお見舞いに来てくれたし、よく一緒に出かけた。いつも一緒で、私と★さんが付き合っていると思っている人もいた。そのぐらい仲がよかった。でも私には彼氏がいるから、★さんに対して恋愛感情はない。一緒にいて楽な友達。ただ、彼氏と一緒に住むのだと伝えてから★さんと会いづらくなり、しかも足の怪我も重なり、みんなが集まる時に私だけ行けず、疎外感を感じていた。そんな時にAが★さんと会っていたので、いやだった』


ということであった。


そんな話になるとは思っていなかったので面食らったが、要するに、★さんに対しての《独占欲》が極端に強いのであろうと。それはわかった。それはわかったがしかし、恋愛感情はない、と本人が言い切るところがよくわからない。それがなくて果たしてこんなにこだわるものだろうか? と思えて仕方なかったのである。しかしとにかく、cさんはそのような言い分であった。


私としては、少なからず驚いた、というのがまずいちばんである。私の感覚でいうなら、誰それと誰それが会うのがいやだ、それによって疎外感を感じる、という感覚は、あったとしても学生さんくらいまでであろうと。なんとなくそんなイメージであった。恋愛感情がない、というならなおのこと。しかしこの時点で、cさんも私もじゅうぶんにいい大人である。cさんがこういうことを言うとは思ってもみなかったので、驚いたのだった。


さらにcさんは、★さんと私が付き合っていないのかどうなのか、と私に確認する。ないと答えると安心したようだったので、私はこの展開に面食らってはいたものの、とりあえずこれで話は終わったのだろうと思った。★さんと私が顔を合わせるのがいやだということに関しても、ここまでに訊かれたことには全部答えたし、納得してくれたのだろう、と解釈したのである。


で、その後である。★さんと私が顔を合わせる機会はその後もあったが(当時)、どちらにとっても、知人友人のひとりという感覚であった。知人友人と会うことが悪いことだとか、誰かに許可を取らなければ会ってはいけないとか、果たしてどれほどの人がそう思うだろうか。私は思わない。しかし、cさんにとってはそういうことだったようだ。つまり、家に招いてあれだけ釘を刺したのに、その後もまた★さんと会ったAのことが気に入らない、と。どうも、そのようなことになったらしい。


それがわかったのは、冒頭にも書いたSNS的なもの(h)において。★さんと私が顔を合わせる機会があったとわかるような記述のあと、cさんが怒りの気持ちを書いていたので気づいた。私はそれを見て、まさかまだ怒っていたとは、と驚いた。


私にしてみれば、cさんが★さんに対してあれだけこだわりながらも恋愛感情はないと言い切るのもわからなければ、私を問いただして説明を求めその説明にいったんは了承しておきながら、あとになってまた怒り出すというのもよくわからなかった。cさんはいったい、どういう感情をここまでこじらせているのだ、と。


で、考えた。あの時、付き合っていないのかどうなのかと訊き、私がないと答えると安心していたのは、cさんにしてみれば、私から「もう★さんとは会いません」という言質を取ったつもりだったのだろう、と。しかし私にしてみれば、訊かれたことにただ答えただけという感覚で、ここに「会いません」とかいう、もともと付随していない意味まで含めたつもりはなかった。


だいたい、もし私が「会いません」と言ったとしたら、それはそれでおかしな話ではないだろうか。それじゃあまるで、私が何か間違ったことでもしていたみたいになってしまう。しかし、誰かと知人友人としてただ会ったということが、悪いということも間違っているということもないだろうと。そして、会うか会わないか、cさんに許可をもらわなければいけないわけでもないし、cさんに決められてそれに従わなければいけないことでもない。


だから、私は訊かれた内容にのみ、事実を答えた。「今後会いません」とか、ほかの意味は特には込めなかった。しかしcさんは「会わない」という言質を私から取ったつもりでいた、あるいは「もう会うな」ということを遠回しに私に伝えたつもりだったのではないだろうか。だから、★さんとAはきっともう会わないと思っていた、ということなのだろう。つまり、Aお前察しろよ、と。cさんにしてみれば、そういうつもりだったのではないかと思われる。


しかし私にとっては、cさんの《独占欲》の構造こそが、正直言ってよくわからなかった。ただでさえよくわからないその《独占欲》を察しろと、言葉にせずに心中で訴えかけられたところで、いったい誰が察することができるというのだろうか。およそ無理な話であろう。


「★さんと会うな」と思っているなら、はっきりそう言えばよかったのではないだろうか。これは別に、言われれば従う、という意味ではないが。しかし言われれば、その言い分はさすがにどうか、とその場で指摘することが、こちらとて出来たわけだ。★さん云々は関係なく、なぜ私が人から行動を制限されなければならないのかというその一点において、cさんの言い分には納得できない、と。


しかし言われないから、そのような《独占欲》まではわからない私が、cさんの心中を、cさんにとって都合のいいように察するわけもなかった。訊かれたことに答えたらcさんが納得する素振りを見せたからこれで話が終わったと解釈した、ただそれだけである。その後★さんと私が顔を合わせる機会があったとて、よもやcさんが再び怒り出すとは、想像もしていなかった。


それで思った。こういう場合はもう、私からは何も言わないほうがいいのであろうと。なにしろ、説明を求められたからこちらはそれに答えたにも関わらず、こう(=あとから再び怒り出しそれをSNS上に書く)なっている。つまり、何か言われてそれを聞き入れるタイプの人ではない、ということだ。だから、そのままにしておくことにした。cさんのほうがそんな状態では致し方ないと思ったからである。また、ほうっておけばそのうちcさんも適当に流すだろう、とも思っていた ( ら、意外とそうでもなかったのであるが )。


その後も、大勢の人が来る場などで★さんと私が顔を合わせる機会があり、それがわかると、件のSNS的なもの(h)にcさんが、そのことへの不快感を書いたり、場合によっては、遠回しとはいえ嫌味を書いたりするようになっていく。


しかしいくら遠回しな書き方をしていても、やはり当事者にはわかるものである。なにしろ、まず最初に呼び出されていろいろ問いただされcさんの言い分を聞かされた時点で、cさんがそういう感情 (=★さんへのこだわり、★さんと会った私への怒り・不快感) を持っているということを、私はもう知っているわけだ。それを私に対して明らかにしたのは当のcさん本人である。つまり、私の勝手な憶測ではない。


ところで、それが遠回しな書き方であるならば、cさんがこのことについて言っているとは断定できないのではないか、と思う人もいるかもしれない。そういう人はたとえば、遠回しな八つ当たり、嫌味等を言われた/書かれた/された経験がないか、されても気づかないタイプかのどちらかなのではないか、という気がする。とはいえ別に、そういう人に対して「自分が遠回しに嫌味を言われたことがないからわからないだけだろう」と怒るつもりはない。むしろ、されたことなくてよかったね、というくらいのことである。ただ、あなたが経験したことがないことイコールあり得ないこと、というわけではないと。あなたは遠回しに八つ当たりをされたり嫌味を言われたりしたことがないから「そんなの気のせいじゃないのか」と思うのかもしれないが、いざ実際にされてみると、やはりその事柄の当事者には否応なくわかってしまうものである。


cさんが、遠回しでなくもっと具体的に取った行動もある。


cさんと私には共通した知り合いもいる。しかしその人たちはおそらく、cさんが私に対して持っている怒りとその理由を知らない。だから、cさんと私を同じ席に呼ぼうとしたことがあった (それ自体は私はあとから知った)。すると、cさんが「Aのことは呼んでほしくない」と言ったのだという。言われた人も気を遣い、その時は私を呼ばなかったわけだが。それ自体は別にいい。


呼ばれなくてもいいのだが、私にしてみれば、cさんはその時、いったい私が何をしたと言ったのだろうか、と思うわけだ。呼ぶなと言うなら、なぜ呼んでほしくないかの理由も言っただろうと。cさんにとっては、私がすべて悪いということになっている。だったら、私はいったい、どんなひどいことをしたということにされたのか、と。cさんの考え方等を聞いていると、こう言ってはなんだが、★さんと私が顔を合わせるのがいやだから、とか、cさん自身が気に入らないと思っている私と会いたくないから、というように、そのまま本当のことを言ったとは、どうにも思えないのである。


何をしたと言われたかまではわからないが、そもそも「Aを呼ぶな」と言っている時点で、何かあったという印象を既に与えているだろうし、それによって、私が何かしらひどいことをしたふうに、ほかの人たちにも思われてしまっていたとしたら。私の立場にしてみれば、風評被害的な意味での実害を被ったとも言える。そもそもSNS的なもの(h)に遠回しとはいえいろいろ書かれてきたこと自体、私にとってはじゅうぶんに実害であったが。


断続的とはいえ、八つ当たりは続いた。それに辟易していた私は、かつて、女性の友人ふたりに、このことに関する愚痴を言ったことがある。愚痴を言わずにいられない程度にはストレスだったからだ。「Aを呼ぶな」の話では、その分だとおそらくほかの人にもいろいろ言っているのではないかと言われ、そうではないかと自分でも薄々思っていたがやはりほかの人の目にもそう見えるか、と思うなど (「言ってないわけないやん、絶対いろんな人にAのこと言ってるって」とのことだった。まぁ、そりゃそうなるか)。


この女性の友人ふたりのうちのひとり△さんは、cさんのことを知っている。cさん含め大勢来る集まりで、△さんが写真を撮った際、cさんも入れて撮ったが、cさんにとってはその写真が思う通りのものではなかったらしく「こんなことをするなんてひどい」と、抗議の電話が真夜中にかかってきたことがあったという。しかしそれがそこまで気にするようなことだとはとても思えなかったから、人をそんなに怒らせるようなことをしたつもりはなかったのにと思って悩んだ、と△さんは言っていた。


その話の際、△さんが「◇さんもcさんとちょっと…」という話をしたので、思い出した。★さん云々よりも前に、cさん本人から「◇さんはひどい。ひどい言い方をされた」と、私も聞いたことがあった。その後偶然にも、◇さんと直接会う機会があったのだが。会っての印象はというと、明らかにジョークだとわかる言い方をする人だったため、もちろん受け取り方には個人差があるだろうが、正直、cさんにだけ特別ひどい言い方をしたとは思えなかった。どちらかといえば、私も人の言葉は気にするたちである。◇さんがもし、他人に極端に失礼な言い方をする人だったとしたら私もすぐに気づいただろうし快く思わなかったであろうが、そんなこともなく、やはりこれも、◇さんの言動が誰の目から見てもひどいというのではなく、△さんの写真のことと同じように、ただ単にcさんの受け取り方如何だったのではないか、というふうに思えた。


もうひとりの友人▽さん (cさんのことを直接は知らない) は「A、とばっちりやん」と。「男のほうに言えばいいのにね。なんでAに言うのか。そこまでのこだわりって、いったい何なんやろう」と言っていた。まぁ、それは私もそう思っていた。そこまで★さんにこだわるなら★さんに言えばいいものを私に言われても知らんがな、と。それにしても、こういう時に異性のほうでなく、同性のほうに対して敵意が向くというのは、女性に多くあり得る思考回路なのか、それともただ単にcさん個人の考え方ということなのか。cさんの《独占欲》の構造自体がよくわからなかった私には、そこも結局よくわからなかった。


このようにして聞いた話はほかにもあったが、大まかにはそんなところであった。「私だけじゃなかったのか」というのが率直な感想である。確かに、人によって、合う/合わないはいろいろあるだろうとは思うが。しかし、合わなければ八つ当たりの対象にしてもいい、というわけではないことは明白である。


ちなみに、女性の友人らがそんな反応だったので、cさんの言い分みたいなものは男性から見るとどうなのかとふと思い、男性の知人にも訊いてみたことが以前にある (その知人はcさんのことはまったく知らない)。ことの顛末を話すと「女の人っていうのは欲張りやなぁ」と言ってカラカラと笑っていた。まぁ、およそそういう反応が返ってくるところか。


私が何かひどいことでもしたかのようにほかの人にまで話されたであろうことは、私にとっては実害だったといえるし、SNS的なもの(h)の上で遠回しにでも八つ当たりをされることがあったのは、やはりストレスとして感じられた。じゃあなぜその場で反論しなかったのかと思われるかもしれないが、それは “遠回し” であったからこそだ。cさんは私を名指しして書いていない、つまり、私から反論があった時に知らぬ存ぜぬで通せる余地を残してあった。そういう点はなかなかたちが悪いな、と思っていた。当事者である私には、たとえ名指しされていなくても、なんのことを言っているのか察しがつく。しかしそれに対して私が反論すれば、名指ししていないがゆえにcさんは「あんたのことを言ってるんじゃない」と言い訳できる。


そういうところから、cさんは自分の言い分が必ずしも正しいわけじゃないと本当はわかっているのではないかと、いつしか思うようになった。


最初のころ、cさんは自分の言い分がまったく間違っていないと思い込んでいるのかと、私は解釈していた。しかしそれなら、遠回しな八つ当たりなどしなくても、もっとはっきり「Aが悪い」と言えるだろう。なのにそれを言わなかったのは、本当は自分でもわかっていたからじゃないのか、と。つまり、自分の言い分が必ずしも正しくはないとcさん自身わかっているから、私から反論されると困る。だから直接的でなく遠回しに八つ当たりしていたのだろうと。私とすれば、そのせいでかなり長いこと、腑に落ちない思いを強いられたわけだが。


最初の方にも書いたが、SNSを使う人であればよくご存知の通り、個人の行動がほかの人にもわかってしまうことがあるのがSNSである。最初に呼び出されてcさんの家に行った日のことなどは、当時cさんも私も件のSNS的なもの(h)に書いていたが、cさんの考え方や行動から考えると、私と会ったとわかる記述は、cさん側はおそらく削除しているだろうという気はする。そのへんにやはり、自分の言い分を人に知られたくないという意識がはたらいているのではないかと思われるし、あるいは坊主憎けりゃ袈裟まで憎い的な感じで、私のことに触れる記述が自分の過去の投稿に残っているだけでも腹が立つ→だから削除、ということもあるのかもしれない。私は見られても知られても困らないので、2012年7月、8のつく日のその投稿は、そのまま置いてあるが (ここまで書いてきた通り、その日はcさんが納得する素振りを見せたからこれで話は終わったと思ったため、言われた内容までは書き残していないが。招かれて行ったという記述とその時の写真は残っている)。


私への遠回しな八つ当たりは、★さんと私が顔を合わせる機会がなくなって以降もあった (別にcさんに従って会わないようにしたとかいうことではなく、ただ単に機会がなくなっていっただけであるが)。あれだけ★さんにこだわっていたのだから、★さんと私が顔を合わせる機会が既になくなっていたことにも気づいていただろうに、それでも私への八つ当たりが続いたのは、いちど憎いと思った相手のことはとことんまで腹が立つ、ということだったのかなんなのか。★さんと私が会うことさえなければ満足ではなかったのか? と、これもやはり、腑に落ちなかったのであるが。


このような顛末であった。私にしてみれば、そもそもの発端自体、私に落ち度があるとは到底思えないし、たとえ遠回しであっても嫌味や八つ当たりを書かれたりしたこと、しかもそれが断続的とはいえ長く続いたことはやはりストレスとなったし、事実を知らない人に、まるで私が何かひどいことをしたかのように伝わってしまったことは、非常に不本意なことだった。